小さな青い鳥が、
Jmailに風を運んだ。

Jmailの歴史には、技術や事業だけでは説明できない、 少し不思議で、少し可笑しくて、少しインターネットらしい出来事がありました。

それが、Little Blue。 小さな青い鳥をウェブカメラで見せ、世界中の人がその鳥に言葉を教えようとした、 初期インターネットらしい実験でした。

インターネットは、まだ何でも試せる場所でした。

1998年のインターネットには、今よりもずっと強い手作り感がありました。 何が流行るのか、何が人の心を動かすのか、誰も完全には分かっていませんでした。 だからこそ、小さな思いつきが大きな反応を生むことがありました。

Little Blueは、まさにそのような出来事でした。 立派な広告キャンペーンではありません。 緻密に計算されたマーケティングでもありません。 小さな鳥を見せる。 その鳥に言葉を教えようとする。 ただそれだけなのに、人は見に来ました。

インターネットがまだ新しかったからです。 画面の向こうに、本当に何かがいる。 自分の入力や関心が、どこか遠くの現実につながっている。 その感覚は、今よりもずっと新鮮でした。

Little Blueは、技術の大発明ではありませんでした。
でも、インターネットが「生きている」と感じさせる小さな出来事でした。

見る

ウェブカメラで、小さな青い鳥を見る。 それだけで、当時は十分に新しく、不思議な体験でした。

教える

人々は、Little Blueに言葉を教えようとしました。 画面の向こうにいる存在へ、言葉を送る楽しさがありました。

広がる

面白いものは、人に伝えたくなります。 Little Blueは、Jmailを知ってもらう小さなきっかけになりました。

広告よりも、人に話したくなることが強かった。

Jmailは巨大な広告予算で広がったサービスではありませんでした。 むしろ、限られた資金と設備の中で、どうやって人に知ってもらうかを考え続けていました。

Little Blueのような出来事は、その意味でとてもJmailらしいものでした。 きれいに整った企業広告ではない。 どこか手作りで、どこか変で、どこか人に話したくなる。

当時のインターネットでは、そうした「ちょっと見てよ」が大きな力を持っていました。 メールで友人に知らせる。 掲示板に書く。 雑誌が取り上げる。 そこからまた人が来る。

いまなら「バズ」と呼ばれるかもしれません。 けれど当時は、もっと素朴に、口コミでした。 口から口へ。 メールからメールへ。 リンクからリンクへ。

Little Blueは、宣伝ではなく、話題でした。
その違いが、当時のインターネットらしさでした。

雑誌

紙のメディアとウェブがつながった。

当時、インターネットの話題は、まだ雑誌によって大きく広がることがありました。 ウェブ上の小さな実験が、紙面を通じて新しい利用者に届きました。

メール

面白いものは、メールで送られた。

SNSで共有する時代の前、面白いサイトはメールで友人に知らせるものでした。 Jmailにとっても、メールそのものが広がる道でした。

Little Blueには、Jmailの若さがありました。

Little Blueを思い出すとき、そこにはJmailの若さがよく表れています。 技術で勝負しようとする若さ。 面白いことをやれば人が来ると信じる若さ。 インターネットなら何かが起きると信じる若さ。

その若さは、魅力でもありました。 そして、危うさでもありました。 Jmailは、利用者を楽しませることには熱心でした。 新しいことを試す勇気もありました。 しかし、成長したサービスを最後まで守るには、若さだけでは足りませんでした。

Little Blueは、楽しい記憶です。 けれど、Jmail.co.jpでは、それをただ楽しい伝説としてだけは語りません。 その背後には、利用者の信頼を預かるサービスとしての責任がありました。

小さな鳥が人を呼び、Jmailに人が集まりました。 人が集まるということは、守るべきものが増えるということでした。

面白さ

人が見たくなる

Little Blueは、説明よりも先に好奇心を動かしました。 何だろう。見てみよう。誰かに教えよう。 その流れがありました。

若さ

試してしまう力

初期インターネットには、完成度よりも実験精神がありました。 Little Blueは、その空気をよく表しています。

責任

人が来る重さ

人が来ることは成功です。 しかし、利用者が増えるほど、サービスとして守るべき責任も増えていきました。

遠くの現実が、ブラウザの中に入ってきた。

今では、ライブ配信もビデオ通話も日常です。 世界中の映像を、スマートフォンで簡単に見ることができます。 けれど、当時のウェブカメラには、もっと強い驚きがありました。

画面の向こうに、今この瞬間の何かがある。 静止画が更新されるだけでも、それは不思議でした。 遅く、粗く、途切れがちであっても、そこには「今」がありました。

Little Blueは、その「今」を小さな鳥として見せました。 大きなニュースでも、有名人でも、巨大なイベントでもありません。 ただ一羽の小さな鳥。 だからこそ、かえってインターネットらしかったのかもしれません。

Little Blueは、小さすぎたからこそ、
インターネットの不思議をよく見せてくれました。

Jmailを見つけてくださった皆さまへ。

Little Blueのような出来事を通じて、Jmailを知ってくださった方もいたと思います。 面白いと思って見に来てくださった方。 そのままアドレスを作ってくださった方。 友人に教えてくださった方。

本当にありがとうございました。

そして、その後Jmailを最後まで守りきれなかったことを、心からお詫びします。 楽しい入口があったからこそ、そこから入ってくださった皆さまへの責任も大きかったはずです。

Bradley L. Bartz Jmail.co.jp 創業者 Internet Access Center K.K.

小さな話も、インターネット史の一部です。

インターネットの歴史は、巨大な会社や有名なサービスだけでできているわけではありません。 むしろ、多くの人にとってのインターネットは、小さな出来事の集合です。

はじめて見たウェブカメラ。 はじめて作ったメールアドレス。 雑誌で知ったサイト。 友人から送られてきたリンク。 掲示板に書かれていた小さな話題。

Little Blueは、そのような小さな出来事のひとつでした。 Jmailの大きな歴史の中では脇役かもしれません。 けれど、Jmailらしさを伝えるには、とても大切な脇役です。

だから、このページに残します。 笑える記憶として。 若さの記録として。 そして、利用者の皆さまへの責任を忘れないための記録として。

この背景にある本

Little Blueの記憶は、『Japan.co.jp — Hardhat Required』のJmail物語につながっています。

本の第16章「The Jmail Phoenix」には、 Jmailが崩壊のあとに生まれ、無料メールサービスとして広がっていく時代のことが記されています。 Little Blueは、その中にある、初期インターネットらしい小さな火花でした。

このサイトでは、その楽しさを記録すると同時に、 Jmailを使ってくださった皆さまへの謝罪も最初に置きます。

起業の物語を読む
Bradley Lawrence Bartz 著『Japan.co.jp — Hardhat Required』表紙

時代

1998年の日本インターネット

Jmailが生まれた時代背景、ダイヤルアップ、日本語メール、個人ホームページの空気を記録します。

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歴史

Jmail Phoenix

Jmailが生まれた背景と、その後の歩みを記録します。

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謝罪

ごめんなさい

Jmailを使ってくださった皆さまへの謝罪文です。

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